着物と私  / コラム

私は幼い頃から海外の文化や風習にとても興味がありました。3、4才くらいの頃だったか、街で海外からの観光客の方々を見かけると、近づいていって不思議な英語で話しかけていたのを覚えています。

 

「将来は絶対に海外に行って仕事をして生活しよう」と思っていた10代後半は、ひたすらダンスレッスンに明け暮れて必死に英語の勉強をしながら自分の外見を外国人のようにアレンジしていました。日本の文化の素晴らしさや奥ゆかしさなどには全く興味が持てず、なぜ私は日本で日本人として生まれたのか、なぜ海外で生まれなかったのだろうかとずっと思っていました。

 

それから随分と年月が過ぎて、世間一般的にも大人の年齢になり、海外に行く頻度が多くなってきました。 ダンスの事しか考えていなくて興味と好奇心いっぱいだった10代の頃とは違い、文化交流という場が多くなってきました。そこで実感したのは、どの国の方々も自分の国の文化にしっかりと誇りを持ち、はっきりと説明出来ているのに、私はこれといって、日本の文化を詳しく説明出来ず、日本の歴史や有名な観光地、茶道や生け花や、何も語れない自分にショックを受けてしまい、海外から日本に留学していた方々が日本文化や日本の歴史を語っていた時、ただ自分が恥ずかしくて仕方がなかったのを覚えています。

 

 私の父は私が幼いころから浅草で着物の草履やバッグの製造、販売をする仕事をしていて、母も何か機会があればいつも着物を着ていました。毎月、一週間 父親は 日本中を走り回って草履を売りに行ってましたが「また売れなかったよ」と夜中に母親にぽつりと話していた父の言葉が今でも忘れられない。着物を着る人がどんどんと減り、遂に父の勤める会社は倒産してしまいました。

 

  いろんな出来事が重なり、なんとなく自分の中で日本文化の中でも『着物』という文化が消えていってしまうのではないかと不安に思い始めました。 そしてとにかく今の自分にすぐ出来るのは『着物を着ること』だと思ったのです。

 

 実はアメリカ行きの資金を貯めるために、高校卒業を控えた18才の頃、赤坂の高級料亭で毎日 着物を着てアルバイトをしていました。今考えるとよく自分で帯まで締めて着ていたな~と感心します。一応 着方は覚えていたけど、私は改めて きちんと着物の歴史や決まり事、知識やマナーなども学びたかったので、着付け教室に通うことにしました。

 

  ある日、着付けの成果を試そうと着物で外出しました。すると、レストランでは、洋服を着ている人よりもいいサービスを受け、電車では席を譲ってもらえ、海外からの観光客の人からは、一緒に写真を撮ってくれと言われ、タクシー運転手の方は割引きをしてくれて、結婚式に着ていくと、ドレス以上に感謝され、日常 顔を合わせている人たちからは、「ちゃんと着物を着れるなんて、すごいですね~」と言われました。

 

 「着物ってすごい!もっともっと着たい!それに もっとみんなにも着てほしい!」

 

 そう思い始めて、いつか自分でもこの世界に誇れる『着物』という文化を海外の方よりも、まずは今の日本の女性たちに伝えていきたいと思い始めました。 そして何より、自分の母親の着物や帯を自分の孫の代にも使ってもらえるのは、とても素晴らしいことです。 私は、自分が6才の頃に他界した祖母の帯を締めて外出する時、天国の祖母に守られているような、なんとも言えない幸福感に包まれて最高に幸せを感じます。既製品のお洋服では、なかなか体験出来ないことです。

 

 最近では着物を着ないせいか、お母さんたちが子供たちに浴衣も着せてあげられない時代になっています。留袖や難しい帯などまで挑戦しなくても、普段着として、さりげなく小紋を着たり、結婚式やお祝いに訪問着を着られるくらいにはしておきたいものですね。

 

  日本の女性は美しいです。そして着物を着る日本の女性はどんなに美しくドレスで着飾った美女にもかなわない艶やかさと奥ゆかしさが光ります。世界に誇れる「着物」を次の世代の日本女性たちに、あるいはお子さんやお孫さんたちに伝えてあげましょう。

 

 私も、まだまだ「着物」を勉強中ですが、日本の女性にとって「着物」がもっと身近に手軽に着られるようになってほしいと思います。 そして一人でも多くの女性が着物を着られるようになるお手伝いが出来ればと思います。